「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」ではアカデミー賞にて作品賞&監督賞のダブル受賞歴がある、誰もが認める映画界の巨匠クリント・イーストウッド。
数多くの伝説の人物を生み出してきたハリウッドですが、俳優としても監督としてもどちらも評価される人物は数える程度にしかいません。
イーストウッドはまちがいなくその一人であり、本作「グラン・トリノ」は監督としても俳優としても貫禄を見せるイーストウッドの代表作のひとつです。
年齢を重ね、ここしばらくは監督業に専念したいとたびたび口にしてきたイーストウッド。
しかしどの俳優にも譲ることができずに前言撤回せざるを得なかったのが、この「グラン・トリノ」の元軍人であり孤独に暮らす老人、ウォルト役です。
今回は、映画「グラン・トリノ」ネタバレやあらすじ、感想と考察を詳しく解説していきます!
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目次
映画「グラン・トリノ」の作品情報
【公開日】
2009年4月25日(日本)
【上映時間】
117分
【監督】
クリント・イーストウッド
【脚本】
ニック・シェンク
【出演者】
- クリント・イーストウッド(ウォルト)
- ビー・ヴァン(タオ)
- アーニー・ハー(スー)
- クリストファー・カーリー(ヤノビッチ神父)
- ドゥア・モーア(フォン)
- ブライアン・ヘイリー(ミッチ)
- ブライアン・ホウ(スティーブ)
- ジェラルディン・ヒューズ(カレン)
映画「グラン・トリノ」のネタバレあらすじ
クラシックカーだけが生きがいの老人、ウォルトアメリカはミシガン州デトロイト、老人ウォルトは最愛の妻を亡くしたばかりでした。
気難しいウォルトには特別な友人もおらず、二人の息子とその家族は独り身になったウォルトを手に余している状況。
イマドキに生きる孫とはお互いを理解し合うこともできず、孤独な日々を送っていました。
彼はかつて朝鮮戦争を3年経験した過去から罪の意識をかかえていましたが、そんな彼を気にかける神父をも玄関先で追い返す有様。
わからず屋な老人ウォルトでしたが、彼には誇れるものがありました。
彼は50年間の長きにわたりアメリカの国産自動車メーカー、フォード社に自動車行として勤め上げた経歴があり、現在もガレージにはフォード車のグラン・トリノが。
グラン・トリノとはフォード社の車種フォード・トリノのうち、1972年から1976年に生産された伝説の名車。
フォードは大衆車メーカーとして知られますがグラン・トリノは現在ではそうそう所有者がいる車ではなく、ウォルトは価値の高い車をこれまで守りぬいてきたことを誇りとしています。
アメリカ国旗をはためかせた玄関先にグラン・トリノを出しては磨き、輝く車を眺めながらビールを飲む。
それが今のウォルトにとってもっとも心安らぐときなのです。
移民の隣人との出会い
ふれあいウォルトの家の隣に、アジア系移民ムン族の家族が越してきます。
「いったい何匹のネズミが集まるんだ?」今やアジア人ばかりになった隣人たちに眉をひそめ、唾を吐いて見せるウォルト。
隣人と距離をおいて生活していましたが、ある時隣に住まう少年タオがグラン・トリノを盗みに入ったところを目撃しました。
気弱で窃盗には向かない少年であるタオの犯行は失敗、実はタオは同じムン族のギャングに脅され無理やり盗みをはたらいていたのです。
ウォルトはタオが盗みに入ったことをとがめず、むしろタオに詰め寄るギャングを銃で威嚇し彼を救い出しました。
隣人一家にとってのウォルトは「気難しい老人」ではなく、「息子を助けた英雄」へと一気に変貌。この日を境に一家はウォルトにお礼の品々を送り、食事に招待し、声をかけるように。
それでもなお「俺の庭に近づくな」と相変わらずのウォルトでしたが、タオの姉であるスーの聡明さやタオの心の優しさを知り、少しずつ心を開くようになっていきます。
互いに心をひらいたウォルトとタオの友情の芽生え
車を盗もうとした罪滅ぼしにとタオが働きに訪ねてきました。
気弱で内気、これといった特技も浮かばないタオをあしらい、適当に隣人の家の修理を命じるウォルト。
しかし特技がないように見えたタオは能力がないわけではなく、ただ生きる道に迷い立ち止まっている少年なのです。
労働というやりがいを与えられたことで力を発揮したタオは、与えられた仕事をもくもくとこなしていきます。
そんな折、ウォルトは体調不良から病院へ。
深刻な病状であったことを伝えようと息子に電話をかけますが、もはや病に侵された状況を伝える会話すらできない希薄な関係になっていました。
その事実に愕然としながらも、対照的に日々ウォルトを気遣い言葉をかけるスーとタオに頼る機会も多くなっていくウォルト。
かつて特技がないと野次ったタオに自分の工具を与え、建設現場での仕事を紹介することになります。
大学の学費を稼ぐための労働...目の前のやりがいを与えられ、タオは力に満ちていました。
しかし、ギャングはタオを執拗に追いかけその邪魔をします。
タオに降りかかる災難
守ってやりたいウォルトの行動が招いた更なる悲劇仕事から帰るタオを待ち伏せしたギャングたちは、タオを暴行し仕事道具を破壊。
ウォルトの斡旋で得た仕事に行くことができなくなってしまったタオ。
世話をしてくれたウォルトへの申し訳なさから、タオはふさぎ込んでしまいますそんな彼を心配したウォルトは、何もしてくれるなと言ったタオを無視する形で単独ギャングに乗り込み銃をつきつけます。
「これ以上タオに構うな」戦争の経験から銃を扱うこと、人を殺めることに恐怖を見せないウォルトの殴り込みは成功したかに見えました。
しかしギャングたちは銃を携えて戻ってくると、タオの家族が住む家へ銃を乱射。幸い家族は重症を負うことなく助かりますが、スーの姿がありません。
親戚を訪ねて出かけていたはずのスーの行方がわからなくなっていたことが分かります。
ほどなくして帰宅したスーは、人相が変わるほどの暴行とともに陵辱されていました。
ボロボロの姿で、泣き叫ぶ家族の腕の中に崩れおちるスー。自分の行動が招いてしまったことなのか?怒りと自責の念にかられたウォルトは、自宅で静かにひとり涙を流します。
「死」をみてきたウォルト
最後にタオに与える「生」の形とはタオは復讐に燃え、一緒に戦ってほしいと銃を保有するウォルトを訪ねてきます。
怒りのあまり冷静になることができないタオを騙し、自宅の地下に監禁したウォルト。
既にタオが自分にとっての自慢の友人になったこと、人を殺す苦しみを知るべきではないこと、戦争経験ですでに血に染まった自分だけで決着をつけることを伝え、ウォルトは単身ギャングのもとへ向かいます。
アジトを訪れてきた老人を銃とともに迎え出るギャングたち。
彼らはすでにウォルトが銃の扱いになれていることを知っているため、手ぶらで訪ねてきたウォルトを目の前にしても余裕がありません。
ウォルトはタバコを口に咥え、ライターを取り出すと宣言してからゆっくりと胸元に手を滑り込ませる素振りを見せます。
胸元から銃を出す、恐怖にかられてそう判断したギャングは引き金を引き、ウォルトは激しい弾丸の嵐を浴びます。
倒れたウォルトの手からは、銃ではなくジッポーがこぼれ落ちてゆきました。
家を抜け出して現場へとやってきたタオに、警察が伝えます。
ウォルトは丸腰だったこと、住宅街の騒音で目撃者がたくさんいたこと、ギャングたちは長期刑が期待されること。
ウォルトは人の命を奪う罪を背負うことなく、自分の命と引き換えにタオとスーを恐怖から救い出したのです。
用意された遺書から、グラン・トリノはタオに贈られました。
ウォルトの生き様を継承していくようにグラントリノを運転するタオの目には、これからを生きていく力強さが宿っています。
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映画「グラン・トリノ」の感想と考察
なぜ舞台はデねトロイトなのか、ウォルトというキャラクターについて本編の物語は、終始デトロイトの郊外住宅地のなかですすんでゆきます。
かつてこうした郊外住宅地を選ぶのは、中流階級以上の白人たちでした。
都会の喧騒から離れ大きな家が並んだ通りは、裕福な白人たちの、いわばユートピア。
しかし世界中の都市がそうであるように、むしろアメリカが世界をリードするスピードで、街にはさまざまな人種があふれ多国籍なスタイルへと変貌をとげています。
フォードの工場がアメリカ資本を動かした黄金時代から時は流れ、安い賃金で働く移民に労働を奪われたデトロイトは、もはやウォルトが知る街ではありません。
白人至上主義の保守派は、別人種に侵食されていく街を捨ててまた新たな場所でユートピアの形成に向かいます。
そうして白人の住人がいなくなった郊外住宅地、日本車ばかりが幅を利かせる街、それがウォルトの住む今のデトロイトなのです。
アメリカ国旗のはためくポーチでビールを飲み、アメリカの顔とも言える自動車メーカー、フォード社に勤め上げたウォルトは本来アメリカンプライドを持ち合わせた保守派と言えます。
そのプライドをもちながら、移民の街に取り残された男。
グラン・トリノはそんなウォルトというキャラクターのメタファーなのです。
ピカピカに磨かれていますが、ウォルトがグラン・トリノを運転するシーンはまったくありません。なぜなら彼には走りに行く先、街をでていくあてがないのですから。
だからこそ、最後にさっそうと住宅街の外でグラン・トリノを運転するタオのシーンが美しいわけです。タオには走ってむかう未来が与えられたことを暗示しています。
イーストウッドはトランプ大統領支持派?
こうしてアメリカにおける移民問題を肯定的に見える形であつかっているイーストウッド監督。
しかし、実は移民の追い出し派に支持されるトランプ大統領の支持者なのです。
トランプ大統領をレイシスト(差別主義者)と呼びつつも、差別反対にあまりに敏感すぎる今の世の中を同時に批判しています。
トランプ大統領のほかに類をみない着眼点を評価するとともに、レイシスト批判に時間をさく世論を指摘しているのです。
移民を受け入れて正義を見せる理想論と、それにともなうリスクとのバランス問題は、これからも世界全体がかかえていく課題です。
わたしたちは多面的に物事を理解していくことの重要性を学んでいく必要があります。
映画「グラン・トリノ」の評価とまとめ
この映画を見て涙腺が崩壊した人は、もしかしてほとんどの人が同じタイミングで涙があふれのではないかと思うのです。
弾丸をあびたウォルト、グラン・トリノを継承したタオ、美しい風景に走り去るグラン・トリノ...ウォルトの死後、物語は流れるようにエンディングへ向かっていきますが、そこで流れるイーストウッドの渋すぎる歌声。
堅物でガンコで死をも恐れない男が、誰よりも優しい声でグラン・トリノをたたえる歌を奏でている。
映画のエンディングカットをしっかり覚えている映画は案外すくないものですが、この「グラン・トリノ」のエンディングは印象があまりにも強く残ります。
戦争のさなか他人を殺めたことで「死」を抱えながら生きてきたウォルトにとって、彼の「死」が救いになったようにも思えて観客が感じる悲しみと安堵を、より引き立ててくれます。
余韻の残る映画をお探しの方には、間違いなくオススメできる映画です。
是非ご覧ください!そしてイーストウッドのかすれた優しい歌に涙してください。
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