『時計じかけのオレンジ』は、数多くの名作を手掛けたスタンリー・キューブリック監督作品の中でも、特にカルト的人気を誇るSF映画です。
暴力とセックスにまみれた生活をしていた青年アレックスが、仲間に裏切られ、投獄されてしまいます。
そこで彼は、政府が検討中の犯罪抑止「ルドヴィコ療法」の被験者になることと引き換えに、刑を軽くすることを提案するが…
完全な正義がないように、完全な悪は存在しない。そんな「価値観を揺るがす強烈カルト作品」のあらすじや感想をどこよりも詳しく紹介します。
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目次
映画『時計じかけのオレンジ』の作品情報
【公開日】
1972年4月29日(日本)
【上映時間】
137分
【監督】
スタンリー・キューブリック
【脚本】
スタンリー・キューブリック
【出演者】
アレックス:マルコム・マクダウェル
ディム:ウォーレン・クラーク
ジョージー:ジェームズ・マーカス
ビリー・ボーイ:リチャード・コンノート
ミスター・フランク:パトリック・マギー
ミセス・アレクサンダー:エイドリアン・コリ
トム:スティーヴン・バーコフ
バーンズ:マイケル・ベイツ
ダッド:フィリップ・ストーン
『時計じかけのオレンジ』のネタバレあらすじやラスト結末
近未来のニューヨークにアレックスはいました。4人組の若者不良集団ドルーグは、彼が率いていました。
彼らはレイプや暴力に明け暮れる生活を送っていました。
アレックスは教師に叱られながらも、母親にはいい格好をし、のらりくらりと刺激的な日々を過ごしていました。
アレックスは裕福な夫婦を襲う
牛乳を飲みながら、ドルーグは暇つぶしのプランを考えていました。
そして、外に出てホームレスの老人を痛めつけます。
老人がどんなに叫ぼうが、彼らは気にも留めません。
別の敵対するドルーグと遭遇します。
そこには、レイプされそうになっていた裸の女性がいたのですが、アレックスはそれよりも、別のドルーグを暴力で痛めつけることで頭がいっぱい。
憂さ晴らしを終えると、ドルーグは車を飛ばし、適当な家を訪れます。
車の故障を偽り夫婦の家に侵入すると、夫には暴力を、妻にはレイプをお見舞いします。
アレックスは奇妙に、「雨に唄えば」を口ずさみ、強盗を楽しみました。
ドルーグに亀裂が…
ベートーベンを崇拝するアレックスは、たとえ仲間のドルーグであろうと、彼を馬鹿にすることを許しません。
自分勝手で、暴力的なアレックスに、ドルーグの連中は我慢の限界。
いくら強盗をしても儲からないこともあり、連中はドルーグを乗っ取ろうとするのですが、アレックスにその思いは届きません。
そんな中、アレックスは夫婦を襲ったのと同じ手口で、別の家に侵入します。
卑猥なオブジェクトで婦人と戯れていたアレックスは、勢い余って婦人を殺害してしまいます。
警察の到着を前に、ドルーグの連中はここぞとばかりにアレックスを袋叩きにします。
裏切られたアレックスは警察に捕まり、懲役17年の刑に処されます。
アレックスは最新の「ルドヴィコ療法」を受ける
刑務所内でアレックスは態度もよく、まさに模範生。
自らの罪に苦しみ、善人になりたいと切に願う姿を見せつけるのです。
そんなアレックスは、政府が考案した新しい犯罪抑制プログラム「ルドヴィコ療法」に興味を示します。
「ルドヴィコ療法」とは、悲惨で残虐な映像を強制的に見せ続け、暴力やレイプにトラウマを植え付けるというもの。
意図せずに流されていたベートーベンにすら、彼は嫌悪感を抱くようになってしまったのです。
治療の成果は凄まじいものでした。アレックスは見事に、暴力やレイプをしようと思うだけで、条件反射的に吐き気が走るような身体になったのです。
そして、アレックスは刑務所から解放されます。
暴力の権利を持たない不自由がアレックスを襲う
アレックスの両親は彼が受刑中に、大体の息子を招いた家庭を気付いていました。
アレックスは家を飛び出すのですが、そこに待ち受けていたのは、かつて彼が苦しめていたホームレスや、警官となったドルーグの元仲間でした。
彼らはアレックスを暴力で苦しめる。
アレックスは「ルドヴィコ療法」によって、抵抗できない。
満身創痍のアレックスは、ある家に助けを求めます。
そこに現れたのは、かつて「雨に唄えば」を口ずさみながら強盗した老夫でした。
マスクをしていたアレックスはなんとかバレずに済みます。
あの事件がきっかけで妻が自殺してしまい、自らは車いすでの生活を余儀なくされた老夫は、反政府の人間でした。
政府の開発した「ルドヴィコ療法」の被験者がアレックスだと知ると、政府を批判する強力な材料だと考え、アレックスをかくまいます。
お風呂から聞こえたのは「雨に唄えば」。
老夫は、あの事件の犯人がアレックスであることに気付いてしまいます。
そうとも知らず、アレックスは自らが暴力やレイプ、そしてベートーベンの第九に激しい嫌悪感を植え付けられたことを話してしまいます。
老父は復讐のため、アレックスを部屋から出られなくするとともに、ベートーベンの第九を大音量で流し続けました。
苦痛に耐えられなくなったアレックスは自殺を図り、窓から飛び降りてしまうのです。
アレックスは喜ばしい自由を再び手にする
アレックスは全身に怪我を負い入院してしまいます。
大衆は「ルドヴィコ療法」を厳しく非難するとともに、アレックスの治療を求めます。
暴力的なセリフを口に出すよう指示を出され、アレックスは順調に回復していくのです。
内務大臣がアレックスの元を訪れ、将来の保障を条件に大衆の非難を収める行動をする求めます。
権力に素直なアレックスは内務大臣の要望に全力で答えます。
アレックスはベートーベンの第九の中、女性とHをします。
その様子を大人たちは拍手で見守り、アレックスは「完璧に治った」。
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『時計じかけのオレンジ』を観た感想と考察
スタンリー・キューブリックの代表作と謳われる作品だけあって(スタンリーキューブリックの作品はどれも名作揃いなのですが)、非常にバイオレンスかつサイケデリック、だけど、何が正しくて何が間違っているのかという倫理の根底をひっくり返すような作品です。
衣装やセリフの近未来感が芸術的
作中では登場人物のほとんどが奇抜な格好をしています。
これは、ドルーグやアレックスたちが不良だから奇抜なのではなく、そういった服装が標準的な世界であることを意味しています。
魅力的で思わず引き込まれてしまう世界観の作り込みは、さすがの一言です。
また、暴力的で気分を害してしまうようなシーンで、誰からも愛されるような「雨に唄えば」という曲を歌うというセンスには脱帽です。
当時そのシーンが、あまりにも印象的であったことから、キューブリックはインタビューにて自らの功績だと豪語していたのですが、実はあれはアレックス役のマルコム・マクダウェルの歌える歌が「雨に唄えば」しかなかったからだそうです。
キューブリックの「タガが外れた暴力シーン」
警官になったドルーグがアレックスに対して、水の中に顔を突っ込ませるシーンではマルコム・マクダウェルは実際に溺れてしまったそうです。
また、「ルドヴィコ療法」として、瞬きや目を閉じることで暴力シーンの資料を拒ませないためにアレックスにかけた装置により、マルコム・マクダウェルは失明の危機に陥ったそうです。
乳からミルクの出る女性のオブジェクトやセックスの様子を大人が囲うシーンなど、本当に挙げていくとキリがありません。
アレックスという役のために身体を張った熱演をしたマルコム・マクダウェルですが、その後はむしろ、アレックスの役があまりにもハマっていただけに、役者としては大成できませんでした。
暴力を肯定する映画?
『時計じかけのオレンジ』は上映当時、そのストーリー上、暴力を助長する映画だとして上映中止になってしまう国もありました。
では、本当にキューブリックは『時計じかけのオレンジ』を通して、そのようなメッセージを残したかったのでしょうか。
私はそのようには考えていません。
作中の前半では、はっきりと暴力や殺人は悪だと描かれ、アレックスは罰せられています。
批判されたのは過激な療法等で「必要以上に個人を抑制すること」です。
人間は本来、理性が備わっているものです。
時に若さや衝動によって、それを抑えられなくなることがありますが、いつかは善悪を判断する能力は、育まれるものでしょう。(ドルーグの連中が立派に警官になっていたように)
アレックスはサイコパスではありませんから、将来は何が正しいのかを自分で判断できるようになるでしょう。
政府のように、絶対的な正義を手にした考え、他者にそれを強いることこそがむしろ、危険であると描かれているわけですね。
『時計じかけのオレンジ』を観た評価とまとめ
バイオレンスな世界と、人間を抑圧する管理的な社会を描いた『時計じかけのオレンジ』。
スタンリー・キューブリックのエッジの効いた社会風刺や、鋭利で淡々と映すカメラワークに魅了されます。
人間の本質は悪なのでしょうか、それを抑圧することもまた悪なのでしょうか。
多くの映画ファンに愛されている本作品ですが、観た方々それぞれの感想や解釈、見解のあるのが面白いところです。
あなたはこの映画を観て、人間の欲深さと自由奔放さは罪だと考えるでしょうか、それとも、それを社会がコントロールしようとすることが罪なのでしょうか。
芸術が次々と息苦しくなっていく現代社会にこそ、この映画はまた新しい価値を持ち始めていると思います。
アーティスティックで少し難解な映画を観たい方は、スタンリー・キューブリックの世界に引き込まれてはいかがでしょうか?
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